2009年06月15日
外食既存店売上動向・独自調査開始
・この度、私の運営するwebサイト「フードビジネス総合研究所」のニューコンテンツとして「外食大手企業・売上動向調査(全51社の既存店売上高調査)の調査実施及び公開を開始することにしました。
・同サイト上では2004年1月以来、「外食大手月次売上速報」ページにて、主要な外食ブランド(現在、14社対象)の月次既存店売上情報を調査し公開してきました。
・これを始めた動機としては、外食大手企業全体の調査結果(外食産業市場動向)は業界団体が毎月発表しているので、当サイトにおいてはそこで知り得ない情報である個別具体的な「ブランド別」データを、継続して調査・記録していきたいというものでした。
・そのため、調査母数を大量に増やして、全体傾向・市場動向を把握するという意図はありませんでしたし、収集したデータに弊社独自の加工を加えるといったことも、意図的に行ってきませんでした。
・しかしこの度、外食上場企業のうち51社の月次売上データを収集し、各企業の店舗数に応じた加重平均により、外食大手企業全体、さらには業態別に、既存店売上動向を把握してくこととしました。
・既存店の定義は、各外食企業により、完全なる統一はなされていません。開店後12カ月経過した店舗としている企業もあれば、13カ月の所もあれば、15カ月という所もあります。また、スターバックスコーヒージャパンなどでは、毎月1日から末日までを一か月とするのではなく、一年52週を単位とした集計方法を取っています。
・こうした前提条件があってなお、既存店ベースによる市場動向を把握することには、一定の意義があると考えます。
・当該51社の店舗数(各社既存店データの対象店舗数)は、2万2千店舗を超えており、本調査にはこれらの商況が反映されていることになります。これは、外食産業市場動向とまではいえないものの、その推計値として、ひとつの有益な参考指標になりえると考えます。
・今後多少、更新が遅れたりすることがあるかもしれませんが、可能な限り、継続 していく所存です。いわばこの新コンテンツは外食企業でいう所の「トライアル業態・育成業態」のようなものです。まずは、4月度の結果からアップします。
外食大手月次売上速報 http://www.fb-soken.com/page361.htm
・同サイト上では2004年1月以来、「外食大手月次売上速報」ページにて、主要な外食ブランド(現在、14社対象)の月次既存店売上情報を調査し公開してきました。
・これを始めた動機としては、外食大手企業全体の調査結果(外食産業市場動向)は業界団体が毎月発表しているので、当サイトにおいてはそこで知り得ない情報である個別具体的な「ブランド別」データを、継続して調査・記録していきたいというものでした。
・そのため、調査母数を大量に増やして、全体傾向・市場動向を把握するという意図はありませんでしたし、収集したデータに弊社独自の加工を加えるといったことも、意図的に行ってきませんでした。
・しかしこの度、外食上場企業のうち51社の月次売上データを収集し、各企業の店舗数に応じた加重平均により、外食大手企業全体、さらには業態別に、既存店売上動向を把握してくこととしました。
・既存店の定義は、各外食企業により、完全なる統一はなされていません。開店後12カ月経過した店舗としている企業もあれば、13カ月の所もあれば、15カ月という所もあります。また、スターバックスコーヒージャパンなどでは、毎月1日から末日までを一か月とするのではなく、一年52週を単位とした集計方法を取っています。
・こうした前提条件があってなお、既存店ベースによる市場動向を把握することには、一定の意義があると考えます。
・当該51社の店舗数(各社既存店データの対象店舗数)は、2万2千店舗を超えており、本調査にはこれらの商況が反映されていることになります。これは、外食産業市場動向とまではいえないものの、その推計値として、ひとつの有益な参考指標になりえると考えます。
・今後多少、更新が遅れたりすることがあるかもしれませんが、可能な限り、継続 していく所存です。いわばこの新コンテンツは外食企業でいう所の「トライアル業態・育成業態」のようなものです。まずは、4月度の結果からアップします。
外食大手月次売上速報 http://www.fb-soken.com/page361.htm
2008年12月30日
クォーターパウンダー・行列演出報道について・・・踊らされる消費者から、脱却せよ!
(HPにも掲載したコラム、「フードビジネス ニュースの見方」から。)
■面白い話がある。(以前、ある書籍の広告を、新聞上で見たもので、大変面白かったので、記憶していたもの。書名は失念した。)
ある男が船の上に居る。この男(女でもいいのだけど)を、どうにかして、海に飛び込ませたい。さて、どうすればいいか。
その男がアメリカ人であれば、「飛び込めば、あなたはヒーローと呼ばれますよ」と言えばいい。
イギリス人なら、「飛び込めば、あなたは紳士と呼ばれますよ」で、イタリア人なら、「女性にもてますよ」。
フランス人は、「きっと、あなたは飛び込まないでしょう」だったと思う。
そして、我々日本人は・・・もうお分かりのように、「みんな飛び込んでますよ」である。
■2008年11月、渋谷や表参道に突如、姿を現した謎のハンバーガーショップ、そこにとぐろを巻く長蛇の列は、実にセンセーショナルであったし、それが実はマクドナルドが仕掛けた新商品キャンペーンであったことを、多くのマスコミは大々的に報道した。
この事実をもって、(「演出」したことの良し悪しはひとまず置いておくと)、新製品導入時の、新しい販売促進手法としては、間違いなく奏功したといえるわけだ。
筆者のところにも、某テレビ局(ニュース番組)から、この「クォーターパウンダー」騒動にどういう意味があるのか、コメント提供依頼が来たことからも、世間の関心の高さが覗える(ちなみにこの依頼に対しては、「原田CEO就任以来続々と繰り出されるマーケティング手法の一環としかみておらず、特段面白いコメントもできそうにない」として丁重にお断りし、翌日放映の「ファミレス特集」に出演させていただいた)。
■そして先日(2008年12月25日)、表題のように、「先月話題となった、クォーターパウンダーの大行列が、人材派遣会社を使った演出であったことが判明」と、多数の報道機関により報道された。
初回報道時の反動もあってか、今回、各報道機関の論調は、一様に、マクドナルドのこうしたやり方を断固批判するというものである。また実際、日本マクドナルドHDの株価は、この報道を受け、前日比60円安と急落した。
■「演出」の真偽についてや、その良しあしについては、これら報道や、さまざまなブログ等で語りつくされた(る)と思うので、ここでは書かない。このニュースから、もう一つのポイントを見出したい。それは、「我々消費者も、反省すべきだ」ということである。
冒頭に紹介した、ボートから飛び込む男の話は、我々日本人の特性、そして、日本というマーケットの特徴を、実に良く表している。
また、ビヨンセだったか誰だか、人気女性シンガーが来日し、彼女を崇拝する若い女性たちを前に会見した時、そのシンガーは目を丸くしてこう言った。「でも、どうして皆揃って、トレンチコートを着ているの?」と。本当に、素朴な疑問として、そう思ったのであろう。
今回のマックの件は、報道によれば、行列をなす人たちのうち千人が、人材派遣会社から送られた人たちだったという。
個性とかオンリーワンとか言いながら、我々日本人は、「自らが、隣と同じであると確認して安心」し、「これが流行っていると言われれば、自分もそれに必死についていき」、「行列ができていれば、自分も並ぶ」のである。千人が並んでいたら、それを見て、千人、二千人が並び、その話題を聞いた人が、並びたくなって、さらに並ぶのである。
マーケティングをやる側からいえば、実に、やりやすい人種ということになるのだろうか。
■資本構成・役員構成を見れば明白なように、マクドナルドは今や、米国本社が主導権を握る、外資系企業である。(そんな中、専門経営者として登用された日本人・原田CEOは、勿論、経営戦略の立案・実行者であるのだが、多分に、(外資系、というイメージを薄めるための)象徴としての側面も持つように思われる)
そして思い起こせば、外資系ドーナツショップの開店時にも、目を疑うような行列ができていて、筆者はそこに並ぶのを諦めた。今話題のH&Mにも、大行列ができた。そして当然、マスコミはこぞって、こうしたことを報道した。
ドーナツとH&Mが演出をしたかどうかはわからないし、絶対にしていないと思うが、そんなことは別にしても、こうした報道により、絶大の販促効果が上がったであろうことは、明白な事実である。大行列の報道によって、全国民に無料で自社ブランド名を認知させ、さらに、テレビを見た人が翌日、行列に加わり、更なる行列が出来るのだから。
■今回の件は、「情報に踊らされ易い」日本の消費者の特性を上手に利用した、外資系企業の実に巧妙なマーケティング手法であったといえる。企業側に、倫理性が問われかねないことは勿論だが、われわれ日本の消費者にも、反省すべき点があるといえるのだ。
「踊らされる消費者」から、脱却するために。
2008年11月15日
「サラリーマンをなめんじゃねー!!」
■「サァラリーマンを、なめんじゃねーっ!!」
毎週金曜放送、永井大主演『サラリーマン金太郎』の、決め台詞である。
悪いヤツの胸倉を掴んで、このセリフを決めながら、強烈な勢いで頭突きをくらわすのである。
私は、サラリーマンではないが、このシーンは何度見ても、本当に胸がスカッとして、目がしらが熱くさえなる。
私なら、「個人事業主を、なめんじゃねー!!」といったところだ。(形式は社長だから、「小企業の社長をなめんじゃねー!!」でもいいのだけど。)
別に、乱闘することも、頭突きをかます機会もないけど、心の中ではいつもそう思っている。
■しかし一方で、以下のようにも思っている。
サラリーマンをスピンアウト(いや、ドロップアウトか?)した人の一部に、ありがちな態度は、やたら、サラリーマンを小馬鹿にするというものである。
これも2種類あって、よほどの大物フリーランスの場合と、そうでない人(多くは、若手)の場合とがある。
前者の例を。大分昔に聞いた話だが、当時テレビなどにも頻繁に出演していた大物経営コンサルタントHさん(一応、イニシアルにしておく)が、コンサルタントやシンクタンク研究員を相手に、講演を行った時の話。
個人で経営コンサルタントを営む超大物、H氏の講演が終わった後、セミナーで恒例の「質疑応答」に入った。やおら、某大手シンクタンクの人が、H氏の講演内容か、あるいはH氏自体について、否定的・冷やかな、挑戦的ともとれる発言をしたそうである。
するとH氏は、それこそ、(金太郎のような勢いでかどうかは知らないが)こう言い放ったという。「お前、サラリーマンだろ。だーから、ダメなんだよ!!」と、質問内容には何ら触れず、一蹴。それではい、次、となったそうだ。
これは、前者の例。H氏の境地に達すればこそ、のセリフであろう。
そんなことを、このセミナーを企画したという、診断士の同期の方から聞いたのを、今でも覚えている。
■しかし、である。H氏のような、本当に一握りの超大物はともかくとして、それ以外の大多数、これは個人事業主のみならず、中小企業の社長でも同じだが、自分がサラリーマンでないからといって、サラリーマンを小馬鹿にするような態度は、ご本人のためにも、やめたほうが良い。(心の中でどう思おうと、それはその人の自由だが。)
サラリーマンではなくなって、本当に仕事が稼働してくると、大口の客先の担当者は、サラリーマンであることが多いのに気づくはずだ。それも、自分よりも随分年下の場合も結構ある。
また、私はこうも思っている。サラリーマンを極められなくして、独立してやっていけるわけがないと。
(可能だったかどうかは別にして)私は診断士を取得した20代半ばの時に、最初の独立のタイミングがあったと思うし、その後も幾度かあったのかもしれないが、会社を辞めて個人で活動し始めたのは、35近くなってからだ。それは、会社の仕事も一人前にできないで、独立したくなかったからだ(ここで言っている一人前とは、半端な意味でいっているのではない)。会社員だからこそできることを、目一杯経験・吸収しておきたかったのだ。また、能力は別としてある程度年数を経ないと、任せてもらえない種類・規模の仕事というものがある(20代と30代とでは、大きな差がある)。
私は結局、精神・体力的に、本当に限界が近いというところまで、目いっぱい、会社員としての仕事をさせてもらった。(ちなみに見ていると、勇んで独立しても、結局またサラリーマンに戻ってしまう若手も、結構いるようだ。彼らが優秀であることは、認めるところであるが。)
■フリーランスとしての気概は絶対に必要だ。しかし、自らが独立して一応喰っているからと言って、大物でもないくせに、安易にサラリーマンを軽視などしてはいけないのだ。
2008年11月13日
著作権について///中国のディズニーランドを笑う資格
IT(インフォメーション・テクノロジー)の進化に反比例して、人間の中身は、退化してきたのではないか?いや、もともとは「愚かな」存在である、人間というものが、テクノロジーの進化についていけていないのか?
インターネット上の、著作権軽視の問題については、当ブログでずっと述べてきたところである。
文章というのは、創作した人の考察の結果・頭の中を、文字に落としたものであり、単なる字面ではない。
それをコピーアンドペーストして、自らのホームページやブログで、あたかも自らが創作したかのように不特定多数に向け公表するのは、呆れてものも言えぬ程の低俗さであるし、何より、著作権の侵害である。こうした輩には、中国のディズニーランドを笑う資格は、微塵もない。
弊社では、自社サイトの著作権侵害事例に対しては、弁護士を通じ断固たる態度で臨み、過去、弊社サイトに対し著作権侵害を行った2社から、謝罪及び和解金支払いを得ている。
しかし最近では、今後同様の事案が発生した場合、相手方への対応について、次のようにも考えている。
和解については、一様にこうした対応が良いともいえない場合があるように思えてきた。そんなことで得た金(和解金、謝罪金)は、所詮「はした金」である。
また、和解書を締結すると、そうしたことがあったという事実は、弊社としても闇に葬り去らなければならなくなる。少なくとも、相手方固有名詞は出せない。これは、考えようによっては弊社にとってデメリットだし、世の中のためにも良くない。
公正な競争社会を実現させるため、今後同様の事案が発生した場合には、最善の方策を検討するつもりでいる。
インターネット上の、著作権軽視の問題については、当ブログでずっと述べてきたところである。
文章というのは、創作した人の考察の結果・頭の中を、文字に落としたものであり、単なる字面ではない。
それをコピーアンドペーストして、自らのホームページやブログで、あたかも自らが創作したかのように不特定多数に向け公表するのは、呆れてものも言えぬ程の低俗さであるし、何より、著作権の侵害である。こうした輩には、中国のディズニーランドを笑う資格は、微塵もない。
弊社では、自社サイトの著作権侵害事例に対しては、弁護士を通じ断固たる態度で臨み、過去、弊社サイトに対し著作権侵害を行った2社から、謝罪及び和解金支払いを得ている。
しかし最近では、今後同様の事案が発生した場合、相手方への対応について、次のようにも考えている。
和解については、一様にこうした対応が良いともいえない場合があるように思えてきた。そんなことで得た金(和解金、謝罪金)は、所詮「はした金」である。
また、和解書を締結すると、そうしたことがあったという事実は、弊社としても闇に葬り去らなければならなくなる。少なくとも、相手方固有名詞は出せない。これは、考えようによっては弊社にとってデメリットだし、世の中のためにも良くない。
公正な競争社会を実現させるため、今後同様の事案が発生した場合には、最善の方策を検討するつもりでいる。
2008年11月08日
中小企業診断士(5)「診断士は、取っても喰えない」は本当か
■中小企業診断士の資格を持っているということに対する、人様の反応は、おおよそ次の二つに分かれる。
(「それって何ですか」は除く.。)
ひとつは、「すっごいですねー」という、(多分にお世辞を含むであろう)賞賛である。実際、それなりのビジネスパーソンが競い、数パーセントしか受からないのだから、ある程度は賞賛されてよいと思う。
一方で、一応、賞賛しつつも、「でも、診断士って、取っても喰えないんですよね」という類の反応がある。
(なお、「そんなもん、大したことない」という反応も、面と向かってはほぼないが、少なからずある。この類の方に対する答えは、すでにこのブログで述べた・・・・「そういう人はぜひ、今すぐに診断士試験を受けてみることをお勧めする。貴方ほどの優秀なビジネスパーソンであれば、特段の準備をせずとも、簡単に受かるはずだから」と。)
■さて、「取っても喰えない」についてである。
これは、今から15年以上前になるが、私がこの資格にトライする際にも、巷で言われていた。
このことについて、今、述べると、これは、半分当たっており、半分間違っている。
まず、「喰えない」と騒ぐ人たちは、根本的な認識間違いをしている。
「この資格を取れば、独立できて喰っていける」という資格なんて、そもそも、そう簡単にあるもんじゃない。弁護士や公認会計士だって、取ったから安泰、なんてことは決してないと思う。
(増してや、診断士は国家資格ではあっても独占業務がないのだから、なおさらだ。弁護士には、弁護士しか行えない、弁護士業務というものがあるが、中小企業診断士には、診断士しか行えない診断業務なんてものは、存在しない。そもそも、診断士というものが制度化されたのは、昔、公共診断というものが存在したからだが、今はこれも無くなっているから、なおさらだ。)
つまり、診断士に限らず、「資格を取得すれば、資格を持っているという事実のみで、喰っていける」という間違った幻想を抱いてしまっている人からしたら、「取っても喰えない」ということになるのだ。自らが何のバックボーンも、力ももたず、まっさらな状態に資格だけ取ってつけても、それは「喰えな」くて当然だ。
■一方で、単に資格を取ったということではなく、それ以前の問題として、社会でそれ相応の経験を積み、深堀した専門的分野も持った上で、さらに何かをやってみようという際に初めて、この資格がプラスアルファとして、足し算ではなくて掛け算的に、活きてくるものと思われる。中小企業診断士には、中小企業診断業務という独占業務はないが、その分「自由度」が高い。いろんなタイプの診断士がいていいと思う。中小企業の経営診断だけをなりわいにしなければならない、なんてことは、全くないと思う。述べたように、取れば喰えるといった保証は何らないのだけど、その分、自由度が高く創意工夫のしがいがあるし、そこが、大変でもあるが力の発揮しどころとなるのだ。
(※次回は、「診断士を取ると転職に有利か?」について。但し、公開時期未定。)
(「それって何ですか」は除く.。)
ひとつは、「すっごいですねー」という、(多分にお世辞を含むであろう)賞賛である。実際、それなりのビジネスパーソンが競い、数パーセントしか受からないのだから、ある程度は賞賛されてよいと思う。
一方で、一応、賞賛しつつも、「でも、診断士って、取っても喰えないんですよね」という類の反応がある。
(なお、「そんなもん、大したことない」という反応も、面と向かってはほぼないが、少なからずある。この類の方に対する答えは、すでにこのブログで述べた・・・・「そういう人はぜひ、今すぐに診断士試験を受けてみることをお勧めする。貴方ほどの優秀なビジネスパーソンであれば、特段の準備をせずとも、簡単に受かるはずだから」と。)
■さて、「取っても喰えない」についてである。
これは、今から15年以上前になるが、私がこの資格にトライする際にも、巷で言われていた。
このことについて、今、述べると、これは、半分当たっており、半分間違っている。
まず、「喰えない」と騒ぐ人たちは、根本的な認識間違いをしている。
「この資格を取れば、独立できて喰っていける」という資格なんて、そもそも、そう簡単にあるもんじゃない。弁護士や公認会計士だって、取ったから安泰、なんてことは決してないと思う。
(増してや、診断士は国家資格ではあっても独占業務がないのだから、なおさらだ。弁護士には、弁護士しか行えない、弁護士業務というものがあるが、中小企業診断士には、診断士しか行えない診断業務なんてものは、存在しない。そもそも、診断士というものが制度化されたのは、昔、公共診断というものが存在したからだが、今はこれも無くなっているから、なおさらだ。)
つまり、診断士に限らず、「資格を取得すれば、資格を持っているという事実のみで、喰っていける」という間違った幻想を抱いてしまっている人からしたら、「取っても喰えない」ということになるのだ。自らが何のバックボーンも、力ももたず、まっさらな状態に資格だけ取ってつけても、それは「喰えな」くて当然だ。
■一方で、単に資格を取ったということではなく、それ以前の問題として、社会でそれ相応の経験を積み、深堀した専門的分野も持った上で、さらに何かをやってみようという際に初めて、この資格がプラスアルファとして、足し算ではなくて掛け算的に、活きてくるものと思われる。中小企業診断士には、中小企業診断業務という独占業務はないが、その分「自由度」が高い。いろんなタイプの診断士がいていいと思う。中小企業の経営診断だけをなりわいにしなければならない、なんてことは、全くないと思う。述べたように、取れば喰えるといった保証は何らないのだけど、その分、自由度が高く創意工夫のしがいがあるし、そこが、大変でもあるが力の発揮しどころとなるのだ。
(※次回は、「診断士を取ると転職に有利か?」について。但し、公開時期未定。)
2008年10月03日
コラム・私の先祖
■私の姓は、山縣という。
そのため、初対面で、少々学がある人や年配の人からは、「山縣有朋(ありとも。長州藩出身の元総理大臣で、伊藤博文のライバルと言われた政治家・軍人。)さんの子孫ですか?」とよく言われる。「風貌も似てますね」と言われたこともある。が、そのたび、「有朋とは直接関係ないようで・・」と答えている。これは事実で、もとをたどれば同じ山縣家なのかもしれないが、私の先祖は、有朋の系列、中国地方の山縣氏ではなくて、江戸時代の学者・山縣大弐(だいに)と言い伝えられている。(さらに遡れば、甲斐・武田信玄の家臣であった山縣昌影(まさかげ)に行き着く。が、大弐の先祖は、昌影の家系に養子縁組で入っているらしく、昌影のほうは、家系は繋がっていても、DNAは繋がっていない可能性が高い。)
さて、山縣大弐である。『柳子新論』という書を記した学者で、武道にも長けていたという。幕末から100年前の身分制度が色濃い時代に「人類皆平等」みたいなことを唱えたため、弟子の一人に密告され、危険人物として幕府から処刑されてしまったらしい(これを「明和事件」という)。
昌影から大弐へと続く山縣氏の天敵は、織田信長であり、徳川であった。つまり、「時の権力」であった。
まず昌影は、武田信玄亡き後の跡取り・勝頼の軍隊とともに、有名な「長篠の合戦」に挑み、織田・徳川連合軍に敗れ、昌影は命を落としている。
この後、信長を経て、権力は徳川幕府が握る。
江戸中期には、上述のとおり大弐が、「時の権力にとっては都合の悪い思想」をもっていたが故に、やられてしまった。またしても山縣は、徳川にやられたわけだ。
しかし、である。大弐の思想は、その後100年を経て、幕末の思想家たちによって復活し、そのムーヴは、倒幕運動・明治維新へとつながり、日本に民主主義の現代社会が訪れることになったわけだ。長篠から何百年かわからぬが、江戸幕府の終焉により、ようやく勝利する日が来たということになろうか。
■現代の日本において、誰が先祖であったかなど、生きていく上でなんら影響はない。さらにもっといえば、先祖は一代遡ることに、2の倍数で人数が増えていくから、明治・江戸・戦国時代などと遡れば遡るほど、「逆ネズミ算」的に、「私の先祖様」の数は増えていく。私にとっての山縣大弐も、そんな大多数のうちの一人に過ぎない。
しかし、そうとわかった上で、私は山縣大弐とDNAを少しでも共有しているであろうことに、誇りを感じている。また、境遇など似通った部分が多いとも感じている(いろんな意味で)。
私も、(処刑にならない程度に)、幕府に物申せる思想を持ちたいと思っている。まだまだ修行が必要だ。
そのため、初対面で、少々学がある人や年配の人からは、「山縣有朋(ありとも。長州藩出身の元総理大臣で、伊藤博文のライバルと言われた政治家・軍人。)さんの子孫ですか?」とよく言われる。「風貌も似てますね」と言われたこともある。が、そのたび、「有朋とは直接関係ないようで・・」と答えている。これは事実で、もとをたどれば同じ山縣家なのかもしれないが、私の先祖は、有朋の系列、中国地方の山縣氏ではなくて、江戸時代の学者・山縣大弐(だいに)と言い伝えられている。(さらに遡れば、甲斐・武田信玄の家臣であった山縣昌影(まさかげ)に行き着く。が、大弐の先祖は、昌影の家系に養子縁組で入っているらしく、昌影のほうは、家系は繋がっていても、DNAは繋がっていない可能性が高い。)
さて、山縣大弐である。『柳子新論』という書を記した学者で、武道にも長けていたという。幕末から100年前の身分制度が色濃い時代に「人類皆平等」みたいなことを唱えたため、弟子の一人に密告され、危険人物として幕府から処刑されてしまったらしい(これを「明和事件」という)。
昌影から大弐へと続く山縣氏の天敵は、織田信長であり、徳川であった。つまり、「時の権力」であった。
まず昌影は、武田信玄亡き後の跡取り・勝頼の軍隊とともに、有名な「長篠の合戦」に挑み、織田・徳川連合軍に敗れ、昌影は命を落としている。
この後、信長を経て、権力は徳川幕府が握る。
江戸中期には、上述のとおり大弐が、「時の権力にとっては都合の悪い思想」をもっていたが故に、やられてしまった。またしても山縣は、徳川にやられたわけだ。
しかし、である。大弐の思想は、その後100年を経て、幕末の思想家たちによって復活し、そのムーヴは、倒幕運動・明治維新へとつながり、日本に民主主義の現代社会が訪れることになったわけだ。長篠から何百年かわからぬが、江戸幕府の終焉により、ようやく勝利する日が来たということになろうか。
■現代の日本において、誰が先祖であったかなど、生きていく上でなんら影響はない。さらにもっといえば、先祖は一代遡ることに、2の倍数で人数が増えていくから、明治・江戸・戦国時代などと遡れば遡るほど、「逆ネズミ算」的に、「私の先祖様」の数は増えていく。私にとっての山縣大弐も、そんな大多数のうちの一人に過ぎない。
しかし、そうとわかった上で、私は山縣大弐とDNAを少しでも共有しているであろうことに、誇りを感じている。また、境遇など似通った部分が多いとも感じている(いろんな意味で)。
私も、(処刑にならない程度に)、幕府に物申せる思想を持ちたいと思っている。まだまだ修行が必要だ。
2008年10月01日
街(まち)が中和されていく!
■かつて4年余りの間、六本木駅で下車して外苑東通りを乃木坂あたりまで歩く(帰路はその逆)というのが、私の通勤ルートであった。伴って、アフター5もその周辺で過ごすことが多かった。90年代前半の話である。
今、その付近に行くと、街の急変ぶりに大変驚かされる。言わずもがな、防衛庁跡地の東京ミッドタウンや、ちょっと古いが六本木ヒルズといった大規模商業施設開発により、街は様変わりした。六本木駅には「六本木へようこそ!」というサインまである。
■そもそも六本木というのは、「ようこそ!」どころか、「子供や田舎者を無言で受け付けない」というアイデンティティをもった街であった。横浜郊外のニュータウンで生まれ育ち県立高校を出たばかりの、いわば田舎者で子供だった私が、東京の大学に入学して、初めて六本木に足を踏み入れた時は、足が震えたものだ。カッコよくもあり、怖くもあった。
それが今や、六本木は、そうしたアイデンティティとは正反対の、誰でも受け入れる、親しみやすい観光地になってしまった。そこはもはや、かつての六本木ではない。事実、ミッドタウンの中にいても、面白くはあるのだけど、「六本木にいる」という感覚はゼロに近い。もっというと、自分が今どこにいるのか、分らなくなる瞬間がある。これは、六本木ヒルズに居ても同じである。
■六本木は、例として挙げたまでだ。汐留にいても、(まだ行ってないがおそらく)赤坂サカスにいても、自分が汐留(・赤坂)に居るという感覚はなく、どこにいても同じに思える。丸ビルや新丸ビルにいくら足しげく通ったとしても、東京・丸の内という街を満喫したことにならない。横浜のMM21地区(クイーンズスクエアやランドマークタワー)も、嫌いではないが、私に言わせれば、あれは横浜ではない。
(まあ、こうした集客力の高いハコができることは、飲食、商業という立場で見れば、その活性化に寄与するというメリットはあるにせよ・・・)
■街というのは、本来、自然発生的なものである。それゆえ、街にアイデンティティ、個性が育まれていく。
一方で、デベロッパーによる大規模商業開発は、歴史や個性をもった「街(まち)」を中和させ、同化させていく。
それは、大規模開発をし続けなければ存続・繁栄ができない産業・企業がある以上、エンドレスに続く。
こうした施設が、いつまでも観光客を集客しつづけられるよう、祈るばかりである。
今、その付近に行くと、街の急変ぶりに大変驚かされる。言わずもがな、防衛庁跡地の東京ミッドタウンや、ちょっと古いが六本木ヒルズといった大規模商業施設開発により、街は様変わりした。六本木駅には「六本木へようこそ!」というサインまである。
■そもそも六本木というのは、「ようこそ!」どころか、「子供や田舎者を無言で受け付けない」というアイデンティティをもった街であった。横浜郊外のニュータウンで生まれ育ち県立高校を出たばかりの、いわば田舎者で子供だった私が、東京の大学に入学して、初めて六本木に足を踏み入れた時は、足が震えたものだ。カッコよくもあり、怖くもあった。
それが今や、六本木は、そうしたアイデンティティとは正反対の、誰でも受け入れる、親しみやすい観光地になってしまった。そこはもはや、かつての六本木ではない。事実、ミッドタウンの中にいても、面白くはあるのだけど、「六本木にいる」という感覚はゼロに近い。もっというと、自分が今どこにいるのか、分らなくなる瞬間がある。これは、六本木ヒルズに居ても同じである。
■六本木は、例として挙げたまでだ。汐留にいても、(まだ行ってないがおそらく)赤坂サカスにいても、自分が汐留(・赤坂)に居るという感覚はなく、どこにいても同じに思える。丸ビルや新丸ビルにいくら足しげく通ったとしても、東京・丸の内という街を満喫したことにならない。横浜のMM21地区(クイーンズスクエアやランドマークタワー)も、嫌いではないが、私に言わせれば、あれは横浜ではない。
(まあ、こうした集客力の高いハコができることは、飲食、商業という立場で見れば、その活性化に寄与するというメリットはあるにせよ・・・)
■街というのは、本来、自然発生的なものである。それゆえ、街にアイデンティティ、個性が育まれていく。
一方で、デベロッパーによる大規模商業開発は、歴史や個性をもった「街(まち)」を中和させ、同化させていく。
それは、大規模開発をし続けなければ存続・繁栄ができない産業・企業がある以上、エンドレスに続く。
こうした施設が、いつまでも観光客を集客しつづけられるよう、祈るばかりである。
2008年09月19日
愚行:超一点突破的「あんたこれ知っとるけ〜!?」
■かつて、商業ソフトクリエイションという経産省(当時通産省)管轄の特殊な法人で、研究員(後半は主任研究員)をしていた時の、今から10数年前の出来事。法人の性格上、経産省(通産省)の官僚の方の、かばん持ちのような形で地方出張したこともある。このエピソードは、中途入社したばかりの頃、官僚の方が某地方の町で商業振興について講演をすることになり、私がお供したときの話。
ちなみにそこは日本の「さいはての町」みたいな田舎町で、中央から官僚がやってきて講演をするなど、有史初のことだったらしい。商工会館の会議室は、たくさんの商工業者であふれかえった。
講演は、商業集積法という制度を活用して、商店街・中小商業者の活性化をしよう、という趣旨であった。
すると講演の途中、いきなり、聴衆の一人(建築業関係者と思しき中年の人)が、講師(官僚)の話をさえぎるように話し始めた(大阪府の橋下知事と若手職員の懇談会の席上、そういうシーンがあったが、まさにあんな感じで)。
「ちょっといいですか。あなた、ショッピングセンターを作る際、坪単価はどのくらいになるか知ってますか?」と。(口調・態度としては、ブログのタイトルに記したような、「ほっほーん、じゃーあんた、これは知っとるのけー」的に。)
こんな質問自体(それを、官僚に聞いてどうするのか)、ばかばかしいのだけど、官僚の人は(表面的には)気分を害することもなく、無難な回答をして受け流した。しかし、質問した男にとってその答えは、「偉そうにして、そんなことも知らんのけー」だったらしく、「ほっほーん」的な薄ら笑いを浮かべて、着席した。
■以下、この話から得た教訓である。
人の「力」というのは、「点」としての知識だけでは計れず、それは「幅と深さ」と、さらには「高さ」から成り立っている。幅広く、奥深いものなのであり、二次元、三次元的なものなのである。
そうした「力」をベースにして、人前で話したりするのだけど、そうすると必ずといっていいほど、このエピソードに出てきたような、「超一点突破的・あんたこれは知っとるけー」という輩が、現れるのである。
そういう輩が挑んでくるのは、文字通り、本当に小さな「点」としての一次元的な知識に過ぎないのだけど、輩にとってはそれが全てであり、もの凄く大事なことなのである。万が一、スピーカーがその「点」をたまたま知らなかったり、自分のほうが詳しかったりすると、オールオア・ナッシング的発想で、「こいつ(スピーカー)は、何も知らない。一方、俺は何でも知っており、ものすごい力を持っている。今日、あいつが講演をして、俺が話を聞く立場なのは、俺がたまたま運が悪いだけで、俺は本当はあいつ以上の力があるのだ」と、悲劇のヒーロー(ヒロイン)的な恐ろしい展開の発想をし、「ほっほーん」的な薄ら笑いを浮かべながら席に着くのである。
しかし実際は、「これ知っとるけー」は、1の力があればできるが、スピーカーには、1000の力がないとできないのだ。
「超一点突破的・これしっとるけー」は、大変な愚行である。「お前の話なんか聞いてられるか」といった仏頂面(あるいは、薄ら笑いを浮かべ)で腕組して座っているのも、全く同じことである。こういう人は、聴衆のうちだいたい2〜3%位の割合で、老若男女問わず、居る。
本当に優秀な人は、たとえスピーカーが「点」として、自分が知っていることを知らないというシーンがあっても、「まあ、そういうこともあるさ」と別に騒ぎ立ても奢る事もせず、それでも、「何か、この人の話から学ぶことはできないか」と、真摯に聞き続ける。優秀な人は忙しいので、この一瞬一瞬に真剣勝負で挑むから、とにかく、何か学べることは学ぼうと必死なのである。そういう人は、往々にして、自らもスピーカー側の立場にいる人か、その予備軍である。そして、「あんたこれ知っとるけー」の人は、絶対に、「こちら側」(スピーカー側)には一生、来ることはない。
ちなみにそこは日本の「さいはての町」みたいな田舎町で、中央から官僚がやってきて講演をするなど、有史初のことだったらしい。商工会館の会議室は、たくさんの商工業者であふれかえった。
講演は、商業集積法という制度を活用して、商店街・中小商業者の活性化をしよう、という趣旨であった。
すると講演の途中、いきなり、聴衆の一人(建築業関係者と思しき中年の人)が、講師(官僚)の話をさえぎるように話し始めた(大阪府の橋下知事と若手職員の懇談会の席上、そういうシーンがあったが、まさにあんな感じで)。
「ちょっといいですか。あなた、ショッピングセンターを作る際、坪単価はどのくらいになるか知ってますか?」と。(口調・態度としては、ブログのタイトルに記したような、「ほっほーん、じゃーあんた、これは知っとるのけー」的に。)
こんな質問自体(それを、官僚に聞いてどうするのか)、ばかばかしいのだけど、官僚の人は(表面的には)気分を害することもなく、無難な回答をして受け流した。しかし、質問した男にとってその答えは、「偉そうにして、そんなことも知らんのけー」だったらしく、「ほっほーん」的な薄ら笑いを浮かべて、着席した。
■以下、この話から得た教訓である。
人の「力」というのは、「点」としての知識だけでは計れず、それは「幅と深さ」と、さらには「高さ」から成り立っている。幅広く、奥深いものなのであり、二次元、三次元的なものなのである。
そうした「力」をベースにして、人前で話したりするのだけど、そうすると必ずといっていいほど、このエピソードに出てきたような、「超一点突破的・あんたこれは知っとるけー」という輩が、現れるのである。
そういう輩が挑んでくるのは、文字通り、本当に小さな「点」としての一次元的な知識に過ぎないのだけど、輩にとってはそれが全てであり、もの凄く大事なことなのである。万が一、スピーカーがその「点」をたまたま知らなかったり、自分のほうが詳しかったりすると、オールオア・ナッシング的発想で、「こいつ(スピーカー)は、何も知らない。一方、俺は何でも知っており、ものすごい力を持っている。今日、あいつが講演をして、俺が話を聞く立場なのは、俺がたまたま運が悪いだけで、俺は本当はあいつ以上の力があるのだ」と、悲劇のヒーロー(ヒロイン)的な恐ろしい展開の発想をし、「ほっほーん」的な薄ら笑いを浮かべながら席に着くのである。
しかし実際は、「これ知っとるけー」は、1の力があればできるが、スピーカーには、1000の力がないとできないのだ。
「超一点突破的・これしっとるけー」は、大変な愚行である。「お前の話なんか聞いてられるか」といった仏頂面(あるいは、薄ら笑いを浮かべ)で腕組して座っているのも、全く同じことである。こういう人は、聴衆のうちだいたい2〜3%位の割合で、老若男女問わず、居る。
本当に優秀な人は、たとえスピーカーが「点」として、自分が知っていることを知らないというシーンがあっても、「まあ、そういうこともあるさ」と別に騒ぎ立ても奢る事もせず、それでも、「何か、この人の話から学ぶことはできないか」と、真摯に聞き続ける。優秀な人は忙しいので、この一瞬一瞬に真剣勝負で挑むから、とにかく、何か学べることは学ぼうと必死なのである。そういう人は、往々にして、自らもスピーカー側の立場にいる人か、その予備軍である。そして、「あんたこれ知っとるけー」の人は、絶対に、「こちら側」(スピーカー側)には一生、来ることはない。
2008年09月14日
このブログに登場する人名がイニシアルな訳
ところで、このblogを始めて数ヶ月、何度か、人様のお名前を登場させたことがある。
が、全て、実名は出さず、イニシアル一文字だけにしている。これは、明確な考えの上に、そうしている。
実名を挙げて、自らのブログに勝手に人様を登場させることは、「私は、業界で有名な、あるいは、こんな力のある、誰々さんと仲間です!友達です!」と、世間に公表しているようであり、もっというと、「そんな私は、顔も広いし、凄いでしょう!敵に回すと怖いですよー」と言っているようで、「虎の威を借る何とか」みたいでもあって、嫌なのだ。
そうしたことから、このBlogでは、先方から「頼む、どうしても実名で載せてくれ!」と依頼されるか(まず、ないと思うけど)、誰もが知っている有名人以外は、イニシアルとしているのだ。
それと、客観的事実として、私に友達や仲間が少ないので、「私の友人・誰々さんが・・」という話自体が、少ないということになる。私に目をかけてくれ、いろいろお世話してくださる、この世で稀有な存在、Dさんが仰っていた。「7割は敵で、味方は3割くらいだよ」と。私の場合は、8対2か、9対1だと思う(別に、多方面に喧嘩をふっかけているようなことはないんだけど)。だからこそなおさら、この2や1の方々とのご縁は、大事にしていきたいと思っているし、実際そうしているつもりだ。
が、全て、実名は出さず、イニシアル一文字だけにしている。これは、明確な考えの上に、そうしている。
実名を挙げて、自らのブログに勝手に人様を登場させることは、「私は、業界で有名な、あるいは、こんな力のある、誰々さんと仲間です!友達です!」と、世間に公表しているようであり、もっというと、「そんな私は、顔も広いし、凄いでしょう!敵に回すと怖いですよー」と言っているようで、「虎の威を借る何とか」みたいでもあって、嫌なのだ。
そうしたことから、このBlogでは、先方から「頼む、どうしても実名で載せてくれ!」と依頼されるか(まず、ないと思うけど)、誰もが知っている有名人以外は、イニシアルとしているのだ。
それと、客観的事実として、私に友達や仲間が少ないので、「私の友人・誰々さんが・・」という話自体が、少ないということになる。私に目をかけてくれ、いろいろお世話してくださる、この世で稀有な存在、Dさんが仰っていた。「7割は敵で、味方は3割くらいだよ」と。私の場合は、8対2か、9対1だと思う(別に、多方面に喧嘩をふっかけているようなことはないんだけど)。だからこそなおさら、この2や1の方々とのご縁は、大事にしていきたいと思っているし、実際そうしているつもりだ。
2008年09月13日
絶対的価値と相対的価値(2)
以前書いたコラム、「絶対的価値と相対的価値」の続編である。
■「相対的価値の人(あるいは、会社)」の典型的な行動は、以前記したように、コンペチターと目される相手を誹謗中傷等により貶め、もって、相対的に自らの地位を高めるというものである。これが、市場・顧客に対して提供しうる「絶対的な価値」をなんら高めるものでないことが問題であり、愚かな行為だと、私は主張しているのである。
さて、「相対的価値の人(会社)」が取る、ティピカルな行動が、もうひとつある。それは、共通の敵を持つ他者(社)と徒党を組むことである。
相対的な人(会社)がやっつけたいコンペチター(たいていの場合、その相手は、相対的な人のことなど気にも留めていないのだけど)に対し、共通の念を抱いているであろう他者(社)と、連携・提携することで、コンペチターの地位を低めようとするものである。
この場合も、既にお分かりのように、この相対的な人(会社)の地位が相対的に高まることはあるかもしれないが、それは相対的なものであって、やはり、市場・顧客に提供しうる「絶対的な価値」は、何らか変わらないのである。
相対的な人(会社)が声をかけ、形成された集団は、正に「烏合の衆」であり、「長いものに巻かれる」者達が寄り集まったに過ぎない。
そうした行為は、仲間とつるまなければ正々堂々と勝負ができないとうことであって、その者(会社)の「未熟さ」「低俗さ」を露呈している。
■私は、「相対的価値を高めるに過ぎない行為を、なんら恐れることはない」と、いつも自らに言い聞かしている。「提携」、「コラボレーション」などとイージーに言われているが、そう簡単に行くものではない。その会社が、確固たる理念、ポリシーを持っていればいるほど、「提携・コラボレーション」というのは、本来、そう安易には成立しにくいものなのだ。これまでいろいろあったが、結局、弊社と友好(有効)な提携関係が続いているのは、A社さん一社に過ぎない。ちなみに、A社の経営陣、Hさん・Yさんも、「安易な提携はしない」が口癖だ。そんなこともあり、ウマが合った。
■かつて、「外食御三家」を形成した、ロイヤルホストの故・江頭社長が、「敵に塩を送る」行為をしたのは有名な話だ。それはきっと、「敵ながら、あっぱれ」と思ったから、そうしたのだ。私が、外食産業・飲食業を取り巻く業界に身をおいて5年以上経つが、「塩を送ってもいい相手・塩を送るに値する相手」は、未だ、全く見つかっていないし、見つかりそうな気配はない。さびしい話ではある。
written by Hideki Yamagata @ Foodbusiness Research Institute
■「相対的価値の人(あるいは、会社)」の典型的な行動は、以前記したように、コンペチターと目される相手を誹謗中傷等により貶め、もって、相対的に自らの地位を高めるというものである。これが、市場・顧客に対して提供しうる「絶対的な価値」をなんら高めるものでないことが問題であり、愚かな行為だと、私は主張しているのである。
さて、「相対的価値の人(会社)」が取る、ティピカルな行動が、もうひとつある。それは、共通の敵を持つ他者(社)と徒党を組むことである。
相対的な人(会社)がやっつけたいコンペチター(たいていの場合、その相手は、相対的な人のことなど気にも留めていないのだけど)に対し、共通の念を抱いているであろう他者(社)と、連携・提携することで、コンペチターの地位を低めようとするものである。
この場合も、既にお分かりのように、この相対的な人(会社)の地位が相対的に高まることはあるかもしれないが、それは相対的なものであって、やはり、市場・顧客に提供しうる「絶対的な価値」は、何らか変わらないのである。
相対的な人(会社)が声をかけ、形成された集団は、正に「烏合の衆」であり、「長いものに巻かれる」者達が寄り集まったに過ぎない。
そうした行為は、仲間とつるまなければ正々堂々と勝負ができないとうことであって、その者(会社)の「未熟さ」「低俗さ」を露呈している。
■私は、「相対的価値を高めるに過ぎない行為を、なんら恐れることはない」と、いつも自らに言い聞かしている。「提携」、「コラボレーション」などとイージーに言われているが、そう簡単に行くものではない。その会社が、確固たる理念、ポリシーを持っていればいるほど、「提携・コラボレーション」というのは、本来、そう安易には成立しにくいものなのだ。これまでいろいろあったが、結局、弊社と友好(有効)な提携関係が続いているのは、A社さん一社に過ぎない。ちなみに、A社の経営陣、Hさん・Yさんも、「安易な提携はしない」が口癖だ。そんなこともあり、ウマが合った。
■かつて、「外食御三家」を形成した、ロイヤルホストの故・江頭社長が、「敵に塩を送る」行為をしたのは有名な話だ。それはきっと、「敵ながら、あっぱれ」と思ったから、そうしたのだ。私が、外食産業・飲食業を取り巻く業界に身をおいて5年以上経つが、「塩を送ってもいい相手・塩を送るに値する相手」は、未だ、全く見つかっていないし、見つかりそうな気配はない。さびしい話ではある。
written by Hideki Yamagata @ Foodbusiness Research Institute

